「レプティリアン」タグアーカイブ

禁断の四次元世界


世界レベルで、毒入りワクチンの接種が強要されています。ワクチンがもたらした死亡者及び副作用に苦しむ想像を絶する人の数が報告されています。

しかも、これが食糧確保と絡む人口削減計画の一環だというのですから、現人類はいまだかってない未曽有の危機に直面していると言って過言ではありません。

ここに至って考えねばなりません。
人類とは何か!

人類とは、文化文明を創出することはできても、その実態は昆虫と変わらない生命体ではないのだろうか。人類を定義づけられた人はいません。昆虫との違いを根源的に解説できた人もいません。

人類の正体に言及できた人は誰一人として現れなかった。

なぜなのでしょうか。それは四次元界という存在を知らないからです。四次元界と三次元界の関連を知らないからです。

目次
第1章 あの世に行って帰ってきた人はいる
第2章 死の概念は有性生殖の誕生と共に生まれた
第3章 死の正体
第4章 転生輪廻の秘密
第5章 あの世には時間がない
第6章 天上界の階層
第7章 転生輪廻は過酷な現象である
第8章 守護霊という存在
第9章 UFOとレプティリアン
第10章 人種差別と性差別
第11章 憑依と洗脳・暗示・マインドコントロールの相違
第12章 憑依の実態
第13章 善と悪の概念
第14章 金縛りと夢とショートスリーパー
第15章 妖精や河童などの妖怪たちの正体
第16章 般若心経と黙示録と天上界
第17章 進化の二千年期
第18章 日ユ同祖論日本人とユダヤ人の謎

第1章 あの世に行って帰ってきた人はいる

あの世に行って帰ってきた者はいない。

「あの世を見てきた」という証言者がいないのだから、あの世が存在していることを確信を持って主張できる人はいない。これがあの世や幽霊などが属する四次元世界を否定する常套句になっています。

しかし、果たしてそうなのでしょうか?
本当に、あの世に行って帰ってきた人はいないのでしょうか。
これはあまりにも無知な見識ではないでしょうか。

なぜなら、世界で一番売れて、世界で一番読まれているといわれている新約聖書に、はっきりと「あの世に行って帰ってきた人がいる」と記されているからです。

その証言は、パウロがコリント信徒に送った手紙(二)の第12章に記されています。

「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです」

第2章 死の概念は有性生殖の誕生と共に生まれた

死の概念は、有性生殖の誕生とともに生まれた。
このことは理解しておくべきです。

有性生殖がいつから始まったかについては定説は存在しませんが、「5億6千年ほど前に始まった」という説が最も有力です。

有性生殖が誕生する前までは、単為生殖(無性生殖)と呼ばれる自己分裂によって増殖する世界でした。この生殖方法の利点の一つは、「親=自分=子供である」ということ、すなわち「不死である」ということに見い出されます。

『創世記』には、「ノアは洪水が地に臨んだ時六百歳であった」という「ノアの系図」が記されています。しかし、その一方で、『創世記』に書かれている、「わたしの霊はいつまでも人の中に留まることはできない。人といっても彼は肉であるから。その寿命は百二十歳に決めよう」とという聖言と矛盾しています。

これが聖書です。重要なことは、人の肉は不老不死を望んでいるのかもしれないが、その中に入った(寄生した)魂魄は決してそれを望んでいないということです。「なぜなのか」という疑問には、転生輪廻の実相を知らないと答えられないでしょう。

第3章 死の正体

人は死にません。

正しくは、「人の本体である魂魄」は、特殊なケースを除いて、永遠に生き続けます。人(魂魄)は「原則として」死なないのです。死ぬのは本体(霊魂)が寄生している肉体だけです。

有性生殖によって生み出された肉体には、確実に、死が訪れます。なぜなら、肉体は多細胞体だからです。個々の細胞はすぐには死にませんが、細胞群が構成する多細胞体は、細胞群が死滅する前に崩壊します。

「死」は恐怖ではありません。
「死」は救いなのです。
不老不死?
とんでもない考え方です。

不老不死は最大級の拷問刑といえるでしょう。多くの肉体的不具合を発症させた老齢のまま生きるということ自体が苦痛そのものである。

第4章 転生輪廻の秘密

問題の第一は、「なぜ、転生輪廻というシステムが存在しているのか」ということに見い出されます。

しかし、転生輪廻は人類に固有のシステムではありません。この世に生きる生物の、ほぼ全ては転生輪廻を繰り返しています。ただ、人類のような天上界を持っていないだけです。

なぜなら、天上界は自然に形成されたものではなく、実在される唯一の神とその一族となる超神霊たちの力によって創り出された特別な世界だからです。

転生輪廻を信じている人でも、その多くは、「あの世の魂魄」がそのまま、「この世の人」として生まれると考えているかと思います。

しかし、それは間違いです。転生とは、そのような単純な話ではありません。もし、転生がそのようなものであったならば、魂魄の数は一定に留まってしまいます。

第二の問題は、人類の肉体には、「生物種としての肉体」と「転生してきた魂魄」と「新しく生み出される魂魄」の三つが同居しているということなのかという話になります。

だから、私は潜在意識を「三・五次元体(未完成の四次元体)」と表現しているわけなのです。

私たちの体の中には転生してきた魂魄が宿っています。この事実を知るだけで、「前世云々」と語る人たちの偽物の度合いが明らかになるはずです。

現時点における自分にとって、魂魄の前世の影響を受けているという点では無関係ではないのだけれど、個人的には、自分と違う存在の過去にすぎないので、ほとんど無意味であるといえるわけです。

第5章 あの世には時間がない

時間は概念です。天体の運行を指標に取った変化を示す概念であり、時間そのものに実体はありません。ゆえに、地球上のほとんどの現地時間は経度によって決まります。

例えば、北極点周辺では経度がほとんど意味を持たないため、共通する時間は存在しません。視覚的、感覚的にも、夏には白夜、冬には極夜が続くために、1日の区切りがなくなり、「時間」というものが全く意味を持たなくなります。

天上界の超神霊から聞いた話では、一般霊界における平均的滞在時間はこの世の感覚で30年、相対的な感覚でいえば、わずか10年です。それほど短期間で転生させられる。そのように聞いています。

第6章 天上界の階層

パウロがコリント信徒への手紙に、誰かの啓示を受けてのことかと思われますが、「その人は第三の天に招かれたのです」と記しているように、天上界は幾層かの界に分かたれています。大きくは六層に分かれていると考えてよいかと思います。

雲上界は三つに大別されます。一番下層界が「神界」です。この界に至るための教えが、日本では神道と呼ばれていますが、西の世界では太陽神信仰と呼ばれています。

正統な太陽神信仰は日本の神道とエジプトのラー信仰だけであり、共に、『古事記』『死者の書』という奥義書が添えられています。

西で第三の天と呼ばれている神界はその道の達人たちが集う世界です。自己錬磨を達成した人たちの世界です。当然、この世において、おそらく無意識の内に修験道(丹田呼吸法)をマスターしている人たちでもあります。

神界の上が菩薩界です。神界は自己修練に徹することができた人たちのエリアです。まず、この段階を踏まないと菩薩界には上がれません。

第7章 転生輪廻は過酷な現象である

天上界には善人しか住めません。

肉体から離脱した魂魄は、自力では天上界に飛翔することはできません。天上界に行けるシステムが備わっていると思われるけど、詳しいことは分かりません。

時々、「この世で成仏させて天上界に行かせる」などと語っている人を耳目にしますが、ただの個人が天上界が決めた規律に逆らうことなどできはしないでしょう。それとも、この世で浮遊している霊体に翼を与えて天に飛ばせるとでも。

第8章 守護霊という存在

この世は、愚と醜と悪と善が混然一体と化している複雑怪奇な世界です。そこで、転生する魂を守るために守護霊が派遣されています。

守護霊は同じ階層に属する親密な関係にある霊体です。潜在意識は「閃きや直感」を以て顕在意識に訴えかけますが、守護霊も、そのような無音のかすかな力で指導を与えてくれます。

潜在意識と守護霊の違いは、潜在意識は動きを制約された眠れる獅子ですが、守護霊は人並みの感情を持っている「三次元現実世界で生きている魂魄である」ということです。

第9章 UFOとレプティリアン

およそ130億年前にビッグバンが起こり、そこで生まれた第一次宇宙に属する幾つかの小銀河がおよそ100億年前に衝突して創られたのが、およそ二千億から四千億個の恒星を持つ銀河系であるとされています。

地球はこの銀河系の端っこに属する太陽系の星なので、最初の宇宙から50億年ほど遅れて誕生したものと考えられます。従って、地球人より知性の高い、或いは霊力の強い宇宙人がいたとしても不思議ではないし、いないと考えること自体が愚かだともいえます。そうした四次元的存在は、私自身が確認しています。想像を絶するほど恐ろしい存在です。

エイリアンに関しては、「彼らはレプティリアンである」という論調を数多く耳目にしますが、これは眉唾物に感じられます。昔から蛇が特殊なモノとみなされてきた風潮がありますが、これは無知なる見識です。

このおおもとになっているのが創世記に記されている、「アダムとエバを騙した蛇」です。この蛇は黙示録第10章第9節において、「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とからサタンと呼ばれる者、全人類を惑わす者」と記され、ここに至って、蛇は悪魔崇拝(カバール)の象徴に祭り上げられ、そのついでに、医療と医術の象徴として有名なアスクレピオスの杖も悪魔の象徴とみなされるようになった。これが人類が誇る叡知とやらの成れの果てといえます。

第10章 人種差別と性差別

聖書は、ヴィーガンやベジタリアンを否定しています。
生きとし生けるものを不浄と言ってはならない。
このことは使徒言行録第10章第9節に記されています。

この世の万物は主の創作物です。植物も動物も、同じ地上の創造主(ウイルス)によって生み出された生物です。植物と獣にDNA的な違いはない。

人の肉も、植物のDNAやウイルスのDNAを取り入れて造られているし、生物の進化にウイルスが寄与していることが次第に明らかにされています。同じ創造主が造った動物と植物の命の尊さにどのような違いがあるというのでしょうか。

第11章 憑依と洗脳・暗示・マインドコントロールの相違

宗教は悪霊、魔霊たちが作りあげた、この世における棲家です。

特に新興宗教はその傾向が著(いちじる)しいといえます。ちなみに、教祖は操り人形であって、その人自身は何の力も持っていません。

親族にも新興宗教に入っている人は少なくありません。その人が病に倒れ入院しましたので「見てやって欲しい」と頼まれ、病院を訪れたことがあります。

確かに衰弱はしていましたが、ただの疲労による病です。そこで少し霊気を入れて自己治癒力を高めてあげました。翌日、母が、その個室に付き添いのために入っていたので、私は迎えにゆきました。

行って驚いたのは、凄い数の霊たちの痕跡がその部屋で渦巻いていたことです。私は、母を連れて、急いで別れを告げて部屋を出ました。

出ると同時に、母が「あの部屋にいると疲れる。凄くイライラする」と苦情を申し立ててきました。確かに、あの邪霊が放った波動は浴びれば浴びるほど疲れ、かつイライラさせられます。このような症状をもたらすのが邪気の常です。

一般に、「宗教に洗脳された」という表現が用いられますが、それは素人判断による誤謬です。憑依と洗脳、或いは催眠、暗示、マインドコントロールは全く別物です。

催眠術と似ているのが暗示です。暗示とは「言葉や合図などにより、他者の思考、感覚、行動を操作・誘導する心理作用のこと」をいいます。暗示効果は催眠術に比べるとかなり軽度で、何かの拍子に簡単に解かれてしまいます。

霊体は電磁波を発することができます。

霊力の強い霊体が人を洗脳しようと思えば、割と簡単にできます。しかし、これは洗脳というより憑依と言った方が良いかもしれません。

宗教絡みの洗脳は、ほぼ憑依です。そうであれば、魔界ではこれ以上の数の霊体がいると考えねばなりません。「幽霊が~」と多くの人が騒いでいますが、実際は、この世における人の数より幽霊、亡霊と呼ばれる霊の数の方が多いのです。

第12章 憑依の実態

憑依される瞬間は特定の場所さえ選べば簡単に観察できます。映像として残すこともできます。ただ、「だからどうした」という話にはなります。「霊は実在する」という当たり前のことを間接的に証明しているにすぎないからです。

このような間接的証拠は「幽霊が実在するという証明」にはなりにくいのです。まるでネタバレしない手品のようにしか思えないからです。なので、私は憑依を解いた後に、憑依された人に感想を聞きます。

多くの弱い霊たちは山の中に追いやられています。人里離れ、強い霊も人の生霊も訪れることのない深山には、このような弱い霊たちが群れて住んでいます。その数は想像以上に膨大である、と山に籠って修行した折に遭遇した無数の霊たちを見て、そう確信しています。

この世も人の世界ですが、あの世も人の世界なのです。

霊力を持つ霊は電磁波を放つことができます。つまり、電気を点けたり、消したり操作することができます。映像中のテレビ画面を砂嵐にしたり、音響機器を操作して音を出なくしたり、或いは、急に音響機器を鳴らしたりとかは朝飯前です。

さらには熱い霊気を出すこともできます。相当な霊力を持つ霊では録音テープを熱でぐちゃぐちゃに溶かしてしまうようなこともできます。電子レンジに用いられているような電磁界(マイクロ波)を出せるということなのでしょうか。

第13章 善と悪の概念

この世では、「清濁(善悪)併せ呑む」とか「来るもの拒まず 、去る者追わず」「分け隔てしない寛大で大きな度量」などの素晴らしい言葉が見受けられますが、白黒のはっきりした誤魔化しようのない四次元界では異質者同士が溶け合うことはありません。

しかも、電磁体であるということは、その意思疎通も量子コンピューターの光子(光の速さを持つ粒子)並みの速さで伝えられるので、まさしく「天網恢恢疎にして漏らさず」の状況にあるといえます。

『創世記』(関根正雄訳)第7章第5節に記されているノアの箱舟「ヤハウェは地上に人の愚が増し加わり、その心の図る想いがいつも悪いことのみであるのをご覧になって、地上に人をお造りになったことを悔い、心に深く悲しまれて言われた。

『わたしはわたしが創造した人を地の面(おもて)から絶滅しよう』」。もちろん、現実は、このようなナイーブなものではなく、「自然界の破壊を最小限度に留めて、愚なる人類を滅ぼせ」となります。

第14章 金縛りと夢とショートスリーパー

「金縛りは脳内現象です」と断言する脳学者さんの多いことは呆れるほどです。基本、学者さんは狭いエリアで活動されているので、ほとんど霊現象の実態を知りません。一般常識さえ欠落している人も少なくありません。

はっきり言って、金縛りは脳現象ではありません。
金縛りは霊現象です。

夢の中における唯一の異常現象が「悪夢」です。
不気味な悪夢。
これは見ているのではなく、見させられています。
悪夢を見た時は霊が忍び寄っていると思って間違いありません。

第15章 妖精や河童などの妖怪たちの正体

妖精の起源はギリシア神話にあると考えています。ギリシア神話は、今では全く別の物語と化していますが、そもそもは霊的啓示によって成った、花も実もある嘘八百の物語です。

妖精と同じように、日本で有名な妖怪のひとつに河童があります。河童が登場する『西遊記』は三蔵法師玄奘が天竺(インドの旧名)から新訳の般若心経を持ち帰った旅行記『大唐西域記』を題材にとって編まれた妖怪物語です。バックボーンに仏教という「真理」が鎮座しているがゆえに長い間、愛され続けている書物です。

第16章 般若心経と黙示録と天上界

この世では悪の尽きることはありません。
イジメや不正も無くなることはありません。

外部の力で以て悪を改心させることはできないからです。
神様でさえできません。

それが出来るようであれば、地獄界など存在していないでしょう。しかし、現実は地獄界、魔界も実在していますし、悪霊や魔霊も実在しています。従って、悪と対峙するときは、「戦う」か「逃げる」か「沈黙して我慢する」かしかないわけです。

黙示録の第21章における最も重要なメッセージは「第二の死」という言葉にあります。

これは、「二度と復活できない地獄送り」を意味しています。地獄送りになると、もはや天上界への復帰も転生も不可能になります。最も恐ろしい刑罰といえます。

注釈を付すべきは「人を殺す者」でしょう。天上界では、人を殺すことも、その魂を消滅させることも是認されています。なにしろ、軍隊の存在が容認されているのですから、人を殺したからと言って地獄送りになるようなことはありません。

第17章 進化の二千年期

人類の進化は二千年単位と定められています。

私たちは三つの二千年期を経て、今、第四の二千年期の時代を生きています。第一の二千年期はシュメール人とアッカド人が分割統治していたメソポタミア文明の時代です。

知っておくべきは、今は「第四の二千年期」という「新しい時代」に突入しているということです。「新しいモノが生まれる」ということは「古いモノが滅びる」と同義です。

マタイ第9章第17節において、こう記されています。「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする」。新旧共存は、「戦いを否定する考え方」と同じほど間違った考え方です。

第18章 日ユ同祖論日本人とユダヤ人の謎

日ユ同祖論とは、日本人(縄文人)の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説ですが、もちろんDNA的には完全な嘘です。「失われた十支族」も完全論破できる嘘です。問題は、なぜ、このような根拠不明の嘘が盛り上がってくるのかという点にあります。

ヘブライ人、ユダヤ人、イスラエル人の峻別は簡単ではありません。辞典を調べると「ヘブライ人とは(ユーフラテス)川の向こうからきた者を意味する」とか、「種族を指す言葉ではなく、遊牧的で不安定な社会層を示すものであるという説が有力です」となっています。

不思議な話です。なぜなら、旧約聖書はヘブライ語で綴られているからです。すると、「川の向こうから来た、何処の誰かも特定できない遊牧民の言語で書かれた書物がユダヤ教の聖典になったのか」という話になってしまいます。

このような奇妙な論理が成立するはずもありません。ヘブライ人、ヘブライ語と簡単に考えている人たちも辞典を著した人たちも「実は、何も知らない門外漢ばかりなのかもしれない」という話になります。

イスラエル人がエジプトで四百年もの長い間、酷使されることは、予め神によって告げられています。

「これから言うことをはっきり憶えておきなさい。君の子孫は外国に宿る者となり、人々は君の子孫をこき使い、四百年の間苦しめる。しかし彼らが仕える民をわたしは裁く。その後君の子孫は多くの財産を携えて脱出するだろう。中略。そして四代目の者たちがここへ帰ってくるだろう。というのはそれまでアモリ人(アムル人)の罪が一杯にならないからだ。中略。その日にヤハウェはアブラムと契約を結んで言われた。『君の子孫にわたしはこの地を与える。エジプトの河から大河(おおかわ)すなわちユーフラテス河まで』」創世記第15章第13節。関根正雄訳、岩波文庫。

この預言は、肉を持つ身の人にとっては理解し難いものの、極めて重要な預言です。
(1)イスラエル人は四百年間も苦しめられる。
(2)アモリ人の罪が一杯になるのに四百年かかる。
(3)イスラエル人がエジプトに帰ってくる。

日本とイスラエルの関係は単純ではありません。なぜなら、西の選民がイスラエル人、東の選民が日本人になるからです。日本人が選民とみなされる理由は、その立地に見い出されます。

第一次ユダヤ戦争によって戦死者110万人とも数えられる大惨劇の末にエルサレムは陥落し、生き残った10万人が奴隷として売り払われた。

ユダヤの地はパレスチナと書き換えられ、ユダヤ人は立ち入ることを禁じられた。こうして、ユダヤ人たちは故国なき流浪の民と化して西欧諸国に流入せざるを得なくなり、シオニズム運動によって現在のイスラエル共和国を建国するまでの1800年間を故国なき民として過ごさねばならなかった。

西欧において、異端の一神教の民であるユダヤ人は迫害された。そして、与えられた唯一の職業が、当時の宗教観から毛嫌いされていた「利子という不労所得で稼ぐ、最も卑しい職業としての金融業」だった。

この結果、ユダヤ出自のロスチャイルドとドイツ南部の都市フランクフルトのユダヤ人居住区で生まれたプロテスタントに起源を持つアメリカのロックフェラーという二大金融支配が確立されることになる。これにバチカンを加えたのが悪の巣窟、DS(ディープステート)の正体です。

第四の二千年期が始まる前、イギリスから多くの人々がアメリカに渡った。彼らのほとんどが東ローマ帝国の末裔たちである正統なキリスト教信徒(プロテスタント信徒)であることは、初期のアメリカにおける支配層が「WASP(ワスプ)」と呼ばれてきたことからも明らかです。

こうしてみると、西の選民であるイスラエルは既に選民としての役目を終え、アメリカが新しい西の選民の地位に立っているとも考えられます。この第四の二千年期の主役を務めるのは、東の選民日本人と新たな西の選民の地位に就くアメリカ人であることは確実かと思われます。

二千年前と異なる点は、第四の二千年期における2021年の時点では、まだイエスのようなメシアは姿を見せていないということです。

既に成人となっているはずだけど、まだ現れていない。

不可解なことに、まだ姿を見せていない時点で、既に、日本人の6千万人から7千万人がワクチンを接種してしまっている。不妊化と合わせて、日本国における日本人の数は著しく減少して、下手をすると少数民族と化してしまうかもしれない。

彼らはもしかしたら「選民の器にふさわしくない日本人」として選別され、間引きの対象にされているのかもしれない。もしそうであれば、日本の旧態依然とした國體は破壊されるかもしれない。

アメリカにおいても、元々ユダヤ教のカバラを語源とするカバル(Cabal)と呼ばれる、バチカン所有の法人アメリカ合衆国に君臨する偽大統領ジョー・バイデンに率いられた民主党を主体とする政治的陰謀団(ディープステート)との戦いが待ち受けている。同時に、四次元世界でも天上界と「偽物たち」を操る地獄界との間に、壮絶な戦いが展開されていることでしょう。

現在は、第四の二千年期における序曲の段階にすぎません。第五の二千年期の準備段階に至るまでの、これから1500年の間に何が起こるのかは、まさに、神のみぞ知るの世界です。しかし、方向性は見えています。

第19章 新たな進化の時代が幕開く

ヒトの進化は他の生物と一線を画しています。

なぜなら、ヒトの進化には四次元の「意図的な力」が加味されているからです。すなわち、三次元宇宙人ではなく、四次元世界が関与しているのです。そして、人は人類という名の生き物の中に寄生しているわけであり、かつ、本来の能力を減殺されているので、この世では十分な実力を発揮できないのが普通です。

一般霊界を例にとって、この世での寿命が七十年、あの世に留まる時が三十年とみなせば、二千年間で二十回は転生輪廻を繰り返すわけです。(注・如来の転生は二千年に一度。菩薩界と神界の転生サイクルは不明ですが、共に、百年から数百年に一度ぐらいかもしれません)。

このように考えると、地獄界に堕とされない限り、一期の二千年間だけでも、二十回の人生を堪能できるわけです。ですから、一回の人生を思う存分、本音で生きればいいわけです。

あなたは必ず死にます。
死は避けて通れない必然です。

「死は定め」と知っていれば、「失うものがある」と考える必要はないわけです。必ず、全てを失うのですから。

だから、名誉や物質に囚われる必要もなく、自分の心に従わない理由もありません。何十回も転生輪廻できるのあれば、例え、一度の人生を無駄死にで終えたとしたとしても、それはそれでいいではありませんか。

Amazon電子書籍500円

 臍下丹田呼吸法の解説

Amazon電子書籍500円

Amazon電子書籍税込み400円

Amazon電子書籍400円