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日本人の死生観:死ねばどうなるのか

死ねばどうなるのか

「死ねば肉が腐って無くなるだけだ」日本固有の死生観ではない。創世記にも「君は土から造られた。君は塵だから塵に帰るのだ」と書かれている。人と肉。実は別物。ほとんどの人は、ここが分かっていない。肉は人がいなくても生きられる。人の死後、肉は1年以上生き続けられる。

人の肉体は独自のシステムで運営されている

単細胞生物の行動は、刺激に反応するだけのプログラムではない。単細胞の動きには個性がある。自律的な動きをする。そして、平均的な男性の細胞の数はおよそ30兆個。ヒトの細胞以外の細胞(細菌)の数は40兆個。いずれも、ヒトの意思に関係なく独自のシステムで動いている。人と肉は別物。

人もDNAもウイルスも寄生的な存在である

利己的遺伝子説を提唱した行動生物学者リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)は、肉体を「DNAの乗り物」と考えた。寄生者はDNA、宿主は肉体。ほぼDNAの存在であるウイルスも同じ。そして、ヒトの本体も同じような寄生者。「人と肉体は別物」と理解していないと充実した人生は送れない。

肉体を操る脳内設定法は、より良く生きるための必須スキル。

自分は若いと思い込むことで、実際に脳が活性化、実年齢よりも認知能力が高くなる。自分は健康であると思っている人は、うつになる傾向が低い。古いミツバチに若いミツバチの仕事をさせると若返った。楽な仕事をすると幸福感が落ちて、老化しやすい。肉体を操る術は必要です。

人にとって長寿は良い戦略なのか、ただの依存性なのか

長生きは良い戦略なのか。ヒトはなぜか不老不死を願う。日本最古の物語である竹取物語では、帝はこれを否定している。秦の始皇帝は不老不死を願ったらしいけど、俗物の考え方と一蹴できる。生物の多くは短命の生き方を選択している。転生の現実を知っているから?若々しい生命体で迅速に転生する方が良いに決まっている。

肉は進化を望んでいないが、魂は常に進化を志向している

その一方で、「豊かな経験値を持った方がより人生を楽しめる」というのも事実である。生命体は現状のままの繁栄を意識しており、危機的状況にない限り、過度のエネルギーロスとなる進化は望んでいない。

しかし、人類は常に進化を志向している。タキトゥスは、この二面性を的確に表現している。「民衆というものはいつも政変を待ち望みながら、しかもそれを恐れている」。聖書にはこう綴られている。「心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26の41)。

生物の多くは生死にこだわっていない

人だけでなく、全ての、否、ほとんどの生物は転生輪廻する。時間は相対的なもので、「時間」と呼ばれるべき事象は存在しない。従って、その生命体にとって一生が長いか短いかは、その生命体以外には理解できない。

例えば、単細胞の藻が多細胞の藻へと画期的な進化をすることがある。その期間は、僅か1年であるが、藻類にとっては、750世代に相当する。人類の1世代を50年と短く見積もっても、およそ3万8千年の歳月に相当する。

基本的に、生物の多くは生死を重視していない。死ぬときは死ぬし、生まれるときは生まれる。環境が変化して「育児が困難である」と理解すると雛や幼体を見捨てる。つまり、生物の死生観は「無理して生きる、無理しても生きたい」と考えていないように思われる。

転生輪廻の真実を書いておきたい

エビデンスも何もないけど、哺乳類以外の生物のこの世とあの世は同居しているように思われる。つまり、この世の肉体が死ねばあの世に行き、この世で生命が生まれればあの世から来る。生死の明瞭な区別がないように感じる。

人は肉体が生命機能を失えば、魂魄が離脱してあの世に帰る。そして、多くの人は相対的時間に換算して、僅か10年あまりでこの世に転生してくる。

続・転生輪廻の真実

転生は胎児のときに行われるのではない。だから、「中絶は罪だ」というのも、「水子の霊がいる」というのも間違いである。転生は、個人差はあるが、4,5歳ぐらいの人体に宿ることが多いとされている。魂魄が寄生するまでの人体は、文字通りの生物であり、それゆえに自我の目覚めがなくてかわいい。

多くの人が4、5歳までの記憶を持っていないのは不思議な現象です。それなのに、この答えを導き出した人がいないのは、人の魂が寄生的存在であることや転生輪廻の実相を知らないからです。

例えば、肉が5歳児の時に魂が入ってきたとすれば、5歳までの記憶は肉に格納されていても、魂の中には存在しないので、魂(人の本体)は記憶を取り出せない。そのような話です。

時として、「2、3児の時の記憶がある」という人が現れますが、ほぼ全ては、「夢のような脳内捏造現象」です。稀に、憑依現象が疑われる事象もありますが、原理的に言って、魂が肉に寄生する、すなわち、転生するまでの期間の記憶がないのが通常のはずです。

転生においては国も性別も固定されてはいない。前世で白人に寄生した魂が、今生では黒人に寄生するということや前世で男性だった人が今生では女性に寄生したということはありふれた事象でしかない。人種差別?男女差別?だから、人類はいまだ「下等生物でしかない」とみなされている。

死後の世界はどうなっているのか

人の肉体は多細胞体なので、寿命を迎えた後は分解されて、最終的には土に還る。一方、人の実体である魂はどうなるのかといえば、ごく簡明に、二つの道を歩む。

一つの道は「地獄に堕ちる」です。あの世の実相を少しは体験している私が助言や聖書などから導きだした、「地獄に堕ちる条件」を記してみたいと思いますが、その前に、「間違っている常識」について綴ってみたい。

「人を殺したら地獄に堕ちる」は間違いです。それでは、国を守って戦った軍人や兵士が浮かばれない。人を殺すという行為より、その人の想念が天国行きか地獄行きかの判定基準になります。

地獄に堕ちる可能性が極めて高いのは、次の三つの条件にあてはまる人たちです。(1)偽善者、(2)怠け者、(3)自殺者。ここで、「聖書が告げるイエスを殺害した人たち」を思い出していただきたい。聖書の記述は作為に満ちています。

聖書は、ユダヤ王国の領主とローマ帝国の総督に、あえて、「イエスは無実だ」と語らせています。そして、聖書が告げたイエス殺害の犯人は、ユダヤ教の祭司、長老と御用学者、扇動された民衆だった。

祭司の罪は重い。理由は偽善者だから。偽善者(嘘つき)の罪は重く、現実に地獄に叩き込まれた僧侶や祭司は少なくない。権力に媚びる守銭奴としての長老や御用学者の罪は意外と軽い。しかし、怠惰と遊興に溺れて無意味に生きてきた人の罪は想定外に思い。自殺者は、ほぼ、問答無用で地獄に送り込まれる。

続く。

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