「戦国時代」カテゴリーアーカイブ

千田嘉博教授の江戸城大調査:所JAPAN

徳川家康が高さ68メートルの大天守を建設した理由


葛飾北斎 富嶽三十六景 江戸日本橋。
富士と並んで映える江戸城の絶景。
狙いすました構図なのだろうか。

千田嘉博氏、城郭考古学者。
磯田道史氏と並んで、研究一筋の現場主義者。
本物の歴史家です。

江戸城の大天守の高さは、65メートルの国会議事堂を凌ぐ68メートル。

相当な慎重型で吝嗇なのに、「ローマの都を大理石の都に造りかえる」と豪語して、財政を傾かせたほどに熱中したローマ帝国初代皇帝アウグストゥスと同じ星座群(白虎:牡牛座・乙女座・山羊座)の徳川家康は、これまた吝嗇なのに、都市建設が大好きな内政型だった。ちなみに、伊達政宗も同じ星座群です。

大天守を建設した直接の狙いは徳川家の威容を天下に知らしめるためだけど、間接的には、都造りが大好きだったから。

現在でも、白虎の成功者の多くは、現金よりも不動産が大好き。人の好みは個性ではなく、より多くは、天体とDNAの影響を受けている。

多くの歴史通には理解されないかもしれないけど、「宗教と歴史」は人類の二本柱ですから、この双方を研究すると、脳的には摩訶不思議と感じられる「実態」が見えてくる。

ここをえぐれないと人類の歴史の深い渦が見えてこない。

日本橋の風景から家康の独創性が見えてくる

地道と節約、忍耐が売りの家康だったけど、江戸の街を栄えさせることも趣味の一つだった。

多岐に渡るアウグストゥスとの共通項から、そのような見方もできる。その一端が、町屋に櫓を造らせたことに見いだせる。

江戸屏風図(一部分)

町家にお城の櫓をつけさせた類を見ない独創性。その意図は、東京の高層ビルのように、地方から来た武士たちを驚かせて、幕府には勝てないと思わせること。

秀吉が、「家康はバカだ。バカだけど油断のならないバカだ」と評したように、戦いは下手だったけど、街づくりの才能は際立っていた。

ちなみに、千田先生によると、櫓の建設資金は商人に負担させ、そのご褒美として、将軍と面会し、能などを同席して見物できる特権を与えたらしい。この抜け目のなさは、さすが、吝嗇のお手本の家康といえるかもしれない。

最古級の江戸城絵図から家康の超心配性が読み取れる


千田教授が発見した「最古級の江戸城絵図:江戸始図」松江歴史館所蔵。

重要なポイントは、攻めてきた敵を包囲して殲滅させるための「桝形」を連続して造っていたこと。

黒い線が、連続する変形桝形。

ここで、千田先生が、「家康は超心配性だった」と解説していたが、まさにその通り。

江戸の街、最大の謎は二つ

①海に面した江戸城の謎

超心配性の慎重居士である家康は、なぜ、海に面した軟弱な地盤(湿地帯)の上に江戸の街を築こうと思ったのかということが第一の謎になる。

ちなみに、太田道灌が建設した日比谷湾に面する旧江戸城は固い地盤の上に建設されていた。しかし、家康が移封されたときは、朽ち果てたも同然の廃墟だった。

所ジョージ氏が、「なんで、もうちょっと陸の奥に建てなかったのか」と疑問を呈したのは当然のことです。

この疑問に対して、千田先生は、「海に面していると物資の運搬が便利だから」と答えていた。

日本橋雪晴:歌川広重

実際に、家康は千葉から塩を運搬させるための小名木川のような人工的運河を幾つも建設していた。東京に流れる直線的な河川は全て人口の運河である。

千田先生の解説は、歴史の一般論であり、これ以外の説を唱える歴史学者は寡聞にして知らない。

しかし、私の書物で説明しているように、「運搬の利便性」と「城の防御性」を選択するとき、家康ならどちらを選択するだろうかという点が問題になる。

秀吉は難波の港に面して大坂城を建設し、そこから海を埋め立てて、そこに城下町を築いた。家康はそれに倣って、同じように海を埋め立てた。

これは事実である。しかし、豪放磊落な秀吉の思考と超心配性の家康の思考を同列に扱っていいのだろうか。

私は承服しがたい。
このような観点は全て結果論にすぎない。

利便と防御の二者択一においては、脳的には、常に防御が優先する。ましてや、超心配性の家康が利便性を選択するとはとても考えられない。

この答えは、私の書物に記している。

②江戸の街が渦巻き状に建設された謎

江戸の街は「の」の字を描く渦巻き状に造られている。

これは、いびつな地形を承知のうえで、海に面して街を造ったことから生じる必然である。

千田先生は、渦巻き状の街という、世界に例を見ない建設方法によって、街が自然と拡大でき、やがてパリの54万人、ロンドンの86万人を凌ぐ世界一を誇る百万都市:江戸が成立したと解説している。これも一般論で、これ以外の説は見たことがない。

ところが、時計回りの「の」の字は、ネジがそうであるように、実は、収束形なのである。解放型(発展型)にするためには、左回りの反時計回りでなければならない。

なぜ、右回りに造ったのか!

右回りが収束形であることは分かっていたはずなのに!

ここが最大の謎なのだけど、私の書物以外で、この答えが記されたことはない。

なぜなら、この答えを見つけるためには『古事記』を解読する必要があるからです。

そして、その時、海の埋め立てではなく、秀吉の難波港と家康の江戸の港という点が線となって現れてくる。

家康は、断じて秀吉の真似をしたわけではない。
真似をさせられたのかもしれないが。

また、幕府の力を見せつけるために海を埋め立てわけでもない。

超心配性の家康が、そのような実利に乏しい見栄を選択したとするのは道理に合わない。

ちなみに、家康が大坂城を超える巨大な城を建築した直接の動機は、数々の苦渋を強いられた憎き秀吉への怨念からである。

扁桃体と海馬が隣接している白虎は、そのような恨みを執拗に持つ内向性を秘めている。

全ての事柄には因がある。
江戸の街が右回りに建設されたのにも深い理由が存在する。

しかし、人の本体(魂魄)と肉体が別物であり、かつ、本体(魂魄)が寄生体であり、肉体が宿主にすぎないことを知らない現人類の知識では、理解不能の事柄になるかもしれない。

いずれにしても、伝統を愛する保守的な家康が海に面して城と街を建設したのも、それが世界に例を見ない右回りの都になったのも、正統な理由が存在する。
 
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磯田道史氏が紐解いた本能寺の変:黒幕背景説

所JAPAN「磯田道史氏が最新の古文書から読み解いた本能寺の変㊙新事実」


『真書太閤記 本能寺焼討之図』(渡辺延一作)

光秀謀反の直接的な契機が「四国:長宗我部と三好の戦い」にあることは、歴史通なら知っていることで、そこに新鮮味はない。

長宗我部を説得していた光秀の苦労が信長の戦略変更によってむげにされたこともよくある話なので、問題にはならない。

そもそも、戦国時代において、「約束を反故にされた、裏切られた」と激怒するような愚かな武将はいないだろう。

戦国時代の軍力の多くは、家臣や同盟者の軍力であり、織田軍10万と言っても、信長が率いた直接の兵力は3万程度と読まれている。

集合離散を常とし、約束や協力より、自分とその部下の命を最優先するのが戦国時代の常識なのだから、「約束を破ったのか」と色めき立つようでは歴史通とはいえない。

磯田道史氏が紐解いた図式はこうである。

1)明智光秀と長宗我部元親の親密性。

これは信長の指示なのだから、光秀が甘い話で元親を説得したことも、元親が光秀と信長に恭順の意志を示したことも、ありふれた謀略戦にすぎない。なので、そこに特別な意味は見いだせない。

例え、古文書に記されていたとしても、それぞれの武将たちの真意を読み取ることはできない。

特に、光秀は「武将は嘘を武略と呼ぶ」という名言を残しているし、フロイスの日本史には「嘘が巧みであることを自慢していた」と記されているのだから、古文書の記述を鵜呑みにするわけにはゆかない。

2)光秀と秀吉の席次争い。

これはあり得そうであり得ない。
圧倒的に秀吉が優勢だからだ。

光秀に特別な才能は見いだせない。光秀は、ただ、信長の信頼において護衛役を任されていただけの、能力的にはごく普通の武将にすぎない。「光秀は有能な武将」とする、その前提自体が間違っている。

光秀に有力な縁者や部下はいない。
ここが光秀にとっての最大の弱点になる。

ここを理解できないで、秀吉と比べるようでは、これまた歴史通とは言い難い。私はそう確信している。

一方、秀吉は豪族である蜂須賀家や生駒家と深い絆を持っていた。さらに、備中高松城の水攻めに際しては、多数の甲賀の土木技術者たちが名を連ねている。

つまり、「秀吉は、正しくは秀吉たちなのだ」という大胆な推理をしたとしても不思議ではないほど、多数の忍びや技術者を配下に収めていた。

秀吉と光秀の実力差は大関と幕下ほどに違う。

光秀は美濃攻めの拠点となった墨俣一夜城を構築できるのか、高松城の水攻めを敢行できるのかなどを考えるとき、光秀と秀吉の差が分かるはずである。よって、(2)の項目は言及するに値しないと断言しておきたい。

3)光秀は関白・近衞前久(このえ さきひさ)と関係を持っていた。

これは事実だろう。
共に、利用価値のある存在と認識していただろう。

その一方で、鵺(ぬえ)のような策謀渦巻く、「他人のふんどしで相撲を取るのを得意とする寄生体公家世界」は一枚岩ではない。当時の公家世界は、近衛派と反近衛派、中立の風見鶏のような集団の三つ巴の混乱状態にあったと考えるべきだろう。

従って、本能寺の変の黒幕などは存在しない。
私の著作にもそう記している。

そして、磯田氏もそう考え、導き出した答えが「黒幕背景説」である。私もこの説を採択している。

磯田氏は、この説を補足するべく「佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)説」を主張している。

新しく見つかった古文書に「佞人」と大書された部分が複数存在していたからである。

つまり、この佞人(公家)が長宗我部のあることないこと、良くない噂を信長に吹き込んだという説である。

信長がそのような胡散臭い人物の助言を聞き入れるだろうか。
彼は、誰の言葉にも耳を貸さない独断主義者だろう。
このような反論は正しい。

ただ、松永久秀に三度も裏切られているように、或いはフロイスが「説得しやすい」と記しているように、信長は意外と猜疑心に乏しく、人を信じやすい面を持っていたことは事実である。

磯田道史氏が導く結論は、「佞人(公家)が信長と光秀に悪知恵を吹き込んで本能寺の変を勃発させた」である。

しかし、この程度の読みでは新事実、新解釈とは言い難い。

なぜなら連歌・愛宕百韻一つで、公家(佞人)の暗躍が存在したであろうことは一目瞭然だからだ。

だから、磯田氏が所JAPANで、「スッキリしない!」と感慨を述べたのは当たり前といえる。

磯田氏以外の所JAPANの出席者は「おお凄い。初めて知った」と興奮していたが、「新たな古文書」という黒幕背景説を後押しする資料の発見は凄いけど、目を見張るほどの成果ではない。このことは、磯田氏自身がよく分かっていることかと思う。

磯田道史先生への提案。
一緒に古事記を解読してみませんか。

核心は、ほぼ解読済みで書籍に記していますが、第一級の歴史家であれば、私が見落としている点にも言及できるかもしれない。

お返事は期待していませんが、「謎解きのプロ、超常のミステリーハンターの私にお声をかけていただければ面白いこともあるかもしれないですよ」と、一応、自己宣伝しておきたいと思います。

 
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コロナウイルスで明らかにされた欧米の東洋人差別

コロナウイルスを契機に欧米における東洋人差別の嵐が吹き荒れている。

パリでは日本人経営の飲食店に「コロナは帰れ!」とスプレーで大書されており、スペインのサッカーチームマジョルカでは久保建英がコーチから、両眼を釣り上げた「アジアヘイト」の表情で呼びつけられたりしている。

スペイン語、ポルトガル語の圏内である中南米も東洋人差別は活発である。

しかし、最も過激な差別国はドイツで、同じゲルマンの血を引くイギリスもなかなかのヘイト国であることは、オリンピックで北朝鮮の国旗を間違えたという、先進国ではあり得ない現実からも容易に推測できる。

元々、多民族が渦巻く欧州では、自分たちの身を守る必要上から、「他国(正体不明の異国人)蔑視」は自然なものだった。

特に、「ゲルマン民族大移動」で知られるように、東方のフン族に追われてローマ帝国に流入したゲルマン系の東洋排他はなおさらである。

アラン族と戦うフン族。
ヨハン・ネポムク・ガイガー画。

このような歴史がDNAに植え込まれて、ドイツ系民族に過激な東洋ヘイトをもたらしているのは確かかと思う。

しかも、欧州はフン族以外にも、モンゴロイドの襲撃を受けて、残虐な殺され方をしている。

いわゆる黄禍論である。
この延長線上にキリスト教徒の迫害がある。

異教の信奉者であるキリスト教徒はみせしめのために街路灯代わりに燃やされたり、生きたまま闘技場に運ばれて、猛獣たちに食い殺された。

「異端は危険をもたらす」

新型コロナパニックは、生物的本能を刺激したのかもしれない。

親が子供に、「知らない人に声をかけられたら逃げるのよ」と教える行為と似ている。

このような排他的全体主義は、今の日本の田舎でもそうだけど、生物の基本本能なので修正できることはない。

ちなみに、古事記の神武東征は、土着の古代型日本人の討伐を主眼に置いている。

土蜘蛛退治:月岡芳年画

土着の土蜘蛛(語源:天叢雲剣あまのむらくものつるぎ)、「この中央集権化の邪魔だてをする土着の虫けら共め」が神武東征のコンセプトだった。

ちなみに、現在でも使われている「クズ野郎」の語源は、吉野熊野にある地名国栖(くず)である。

土着勢力の一つの拠点だったと考えられる。

こうして考えてみると、ヘイトも中央集権化も全体主義も兄妹、従妹みたいなものであることが分かる。

カエサルは西欧を席巻して言語の統一に寄与し、イエス・キリストは新しい一神教で西欧の多神教を駆逐して宗教闘争を鎮めた。

これがEUの発足に繋がっている。
統一か分裂か、独裁か民主か。
人類狂騒曲は果てしなく鳴り響く。

ゆえに、「東洋人は欧米では差別を受ける」という感覚は持っていなければならない。

アメリカでは、「フォア・ザ・チーム」という概念が強い。

こうした、アメリカの影響を受けて、スポーツ界でも「フォア・ザ・チーム」を叫ぶチームや監督、コーチは少なくない。

はっきり言っておくが、愚かであることを自覚すべきだ。

特に、これからのグローバル化では、「個人があってこそのフォア・ザ・チーム」という考え方を持たないと潰されてしまう。

ドイツのサッカーチームHSVに所属していた、見た目白人のハーフ酒井高徳選手でさえ、彼ひとりがファンから非難され、「人のために何かをするのって、無意味なんじゃないかなと。誰かのため何かをするのは、少なくともサッカー選手という職業においては無意味なんだなと思うに至りました」と語っている。典拠・文春オンライン。

既に、グローバル化時代に突入してしまっている日本人は、この点をよりシビアに考えなくてはならない。

ニューヨークだ、ロンドンだ、ディズニーランドだと騒いでいる能天気な人たちの記事を流してはいけない。

白人のエリアで、日本人が豪邸を建てると必ず、壮絶な嫌がらせが始まって追い出そうとしてくる。

「これくらいは当たり前」と思っていないと、これからの時代は痛い目に遭う。

戦国時代は謎に満ちている織田信長・豊臣秀吉・明智光秀の正体と秘密

 
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戦国時代のコラム

目次

謎だらけの戦国下克上を切り裂く新説の数々。戦国史を語りたければ、まず、古事記に記されている「焼津・足柄山・蒜(ひる)」を全て踏襲した北条早雲の謎を解け。これを以て天下布武の領域が定められた。天下布武における「天下」の領域は尾張(甲賀)から相模(風魔)までと定められていた。

忍者が絡む六芒星と五芒星の真実。八俣遠呂智の謎が解ければ、役小角・弘法大師空海・楠正成・真田幸村・坂本龍馬の関係と戦国時代の意味が紐解ける。千早赤坂城・楠正成・鎌倉幕府滅亡・丹生・遣唐使・神仏習合・真田幸村・九度山・豊臣政権滅亡・十津川郷士・坂本龍馬・江戸幕府滅亡。

忍者が台頭して日本史上初の近代戦が展開されたのが戦国時代だった。秀吉が仕掛けた朝鮮出兵の謎は、斎藤道三と松永久秀の働きと通底している。「信長と秀吉・家康の関係と山崎の戦い、大坂の陣」は、ローマ帝国におけるカエサルとアントニウス、アウグストゥスの関係に、その戦いはフィリッピの戦い、アクティウムの海戦と酷似している。

誰も知らない豊臣秀吉に冠された13の数字の意味。なぜ光秀は謀反を起こしたのか。光秀の正体と本能寺の変の真相は「日向」という名に秘められている。日向の謎が紐解けると光秀が愛宕権現に願をかけて本能寺に向かった謎が見えてくる。

戦国時代は二つの政権交代がなされた奇異な時代だった。渦郭式(右回り)の江戸の不思議は八咫烏が握っていた。二つ世界史と二つの黙示文書との照合によって紐解かれる戦国時代の謎の数々。通史が砕け散る戦国時代の真相がここにある。

目次
序章 古事記は黙示文書(もくしぶんしょ)である
(1)戦国史を語りたければ、まず、北条早雲の謎を紐解くべし
(2)黙示文書と呼ばれる書物が世に四冊存在する
第一章 戦国時代は五芒星の時代
第二章 ヤマタノオロチに秘められた謎
第三章 三種の神器の正体
第四章 戦国時代の幕を開いた北条早雲に秘められた真実
第五章 ヤマトタケルと空海・楠正成・真田幸村・坂本龍馬
第六章 戦国時代は忍者が歴史の表舞台で花開き散った時代
(1)秀吉(藤吉郎)の正体
(2)忍者軍団を操る朱雀・織田信長の苛烈さ
(3)比叡山と石山本願寺
(4)最後の独立国紀州共和国の忍者たち
第七章 明智光秀の謀反に関わる謎を解明する
(1) だれも光秀の心模様を説明することはできない
(2)戦国下克上は信長の専売特許
(3)本能寺の変の黒幕
(4)明智光秀の正体
(5)信長が簡単に殺された理由
第八章 三人の代行者(ペトロ・アントニウス・秀吉)に関された「13の数字」
第九章 江戸の街が渦郭式に建設されたことの真相
(1)徳川家康の移封(いほう)に秘められた深い意味
(2)信長が茶の湯を好んだ理由
(3)武家政権終焉の立役者は北条早雲と織田信長だった
あとがき

 

 

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』はダサすぎる

大河ドラマ『麒麟がくる』は珍しいほどに不愉快なドラマ

NHK大河ドラマの視聴率が低下している。

30代の歴史好き知人も、「史実と違いすぎる」と憤慨していた。

大河ドラマは、歴史物ではなく、歴史を題材にしたドラマなので、「あれはドラマ、作り物だよ」と言いたくなるけど、そうは言わせないほどの不快感と違和感を覚えてしまう。

不人気の原因を「女性層に共感を与える女性(女優)がいないこと」に見出しているリサーチもある。

私は全編を観たわけではない。初回、二回、三回の段階で、既に、録画をスキップさせているからでもある。

史実との乖離が甚だしい漫画以下のドラマ

史実なら史実に、ドラマならドラマに特化すればいいものを、史実と虚構を錯綜させる展開に持ち込んでしまった。そのように感じられる。

とりわけ、違和感満載の衣装を、「時代考証に基づいた」と史実仕立てを強調しながら、筋書きは、著しく史実と異なる甚だしい矛盾が、不快の原点になっている。

そもそも、明智光秀が土岐氏に仕えたことはあるのか。
答えは、「ない!」である。
彼の父は土岐氏の家臣だったけど、下級武士だった。

光秀は土岐氏の美濃ではなく、近江で生まれた。

今は、そのような説が濃厚になりつつある。
光秀自身と土岐氏との関係はなかったとみなしたい。

この大前提を覆している時点で、完全に創作ドラマなので、服装を当時のものに似せたとか、当時の戦い方を忠実に描いてみたとか言っているようでは、話にならない。

あまりにも嘘くさい!

勘ぐれば、NHKの正体を公にするため企画かと思うけど、そういつことはないでしょう。

さて、光秀が武芸に秀でているような描かれた方も不快だ。

光秀が武芸に秀でていたはずがない。

彼が学んでいたのは医術だからです。
しかも、町医者。
それで糊口をしのいでいた。

それなのに、NHKの光秀は、やたらと剣術が達者だ。
これも大前提を覆している。
だから、心が落ち着かず、観ておられない。

一応、歴史仕立てにしているのだから、最低限、大前提を守った脚本にしないと、「ラノベとB級漫画の合体物という創作オバケか」と思ってしまう。

知人が憤慨しているのも、こうした歴史物を描くにあたっての掟破りを感じたからではないだろうか。

医術は忍者の技法の一つである。

「光秀が鉄砲を使えた」
「光秀は大力の持ち主だった」

このような説は『明智軍記』にしか記されておらず、信憑性は極めて低いと言わざるを得ない。

ただし、光秀は冷徹で貪欲だった。

冷徹で貪欲でなければ、信長に重宝されなかっただろう。

光秀には才知があった。

医術を学んでいたし、フロイスが、「築城のことに造詣が深い」と記しているからには、数字にも強かっただろう。

つまり、光秀は忍者としての資質を持っていたということになる。

しかも、美男子である。

そのことは、肖像画でも分かるが、彼の血を継いだであろう長女のお玉(細川ガラシャ)の美貌にまつわるエピソードによっても証される。

そのような設定で『麒麟がくる』を作っていれば、光秀の前半生は不透明なのだから、虚構を以て史実にスッと入っていけたと思われる。

猥褻芸人たちを出演させたキャスティング能力の欠如

虚構の人物を二人の芸人に演じさせた。

「史実にはない医者と忍者らしき人物」を介入させて、何じゃこれは的な展開に拍車をかけてしまった。

しかも、この二人の芸人は、一人は大御所だけど、共に、テレビで露骨なセクハラをやっていた、ボケている感の強い下品な連中なのだから、これはこれは、このキャスティングはと、少なくとも、私は呆れかえり、これだけで観る気が失せた。

ソープ好き芸人、岡村隆史(49)の呆れた放言

「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども美人さんがお嬢やります。なぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから。3ヵ月の間、集中的に可愛い子がそういうところでパッと働きます。パッとやめます。それなりの生活に戻ったら」

「この美人たちを狙っている」と公言する、背筋が寒くなるようなメンタリティーの持ち主が岡村隆史なのです。(引用元:女性自身)

いわんこっちゃない!

岡村隆史氏の記事は追記です。
初めから言っていたこと。
だから、「いわんこっちゃない!」となってしまう。

薬物中毒患者として、その筋では知れ渡っていたはずの沢尻エリカ氏を起用したり、猥褻メンタリティーの岡村隆史氏を起用したり、NHKのキャスティング陣の無能さは、どうしたことなのか。

少なくとも、TVに映っていながら、平気でセクハラをするような芸人は、素ではもっと猥褻なことを平気でやっていると考えておかねばならない。

とはいえ、もはや日本人が運営する放送局でないことが明らかになりつつあるNHKですからね、「類は類を呼ぶ」の法則が発動しただけなのかもしれませんが。

仮に、光秀を肖像画に描かれているような「知的だけど冷酷」的な忍者的イメージで脚本を作っていれば、足利義昭、斎藤道三、織田信長との絡みでも面白いものが描けたはずなのにと思わざるを得ない。

ここに松永久秀と柳生一族を絡ませることも可能となる。

久秀は道三より、かなりワイルドな天才であるし、果心居士との逸話もあるので、忍者光秀を面白く描けたかもしれない。

光秀自体の女性編歴は存在しないので、忍者設定にすれば、帰蝶や吉乃、お市などの著名で艶やかな女性陣を絡ませて、膨らませれたかもしれない。

しかし、現実は道化役の医者に付きそうあか抜けない女性や、小粒な帰蝶しかでて来ないのだから、これでは男性陣はもとより、女性たちも感情移入がしづらいのではないかと思われる。

いろいろ戦略ミスが鼻について、大好きな時代物だけど、もう観ることはないだろう。

あまりにも、チンプンカンプンだ。
これでいいとね。

明智光秀 年英・画

「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
という光秀の辞世の句とされるものが記されている。

 

 

 

 

 

戦国時代と忍者の正体

戦国時代の華は忍者だった。
しかし、忍者の実態は、ほとんど知られていない。

なぜなら、「忍者であること」は身内にも知られてはいけなかったからである。

その代わり、彼らは高額で雇われた。
今の年収に換算しておよそ800万円とする説もある。

小説や漫画などでは、忍者には上忍と下忍がいると想定されているが、事実かどうか定かではない。

忍者に格があるとすれば、つぎの三つに分類される。

(1)鉄砲を用いるなどの武芸系雇用型の忍者。

(2)薬草、医術や和歌、俳句、将棋、囲碁などの教養を武器に相手の懐に入って情報を収集したり、攪乱する知性系忍者。「すっぱ抜く」の語源となった素波(すっぱ)と呼ばれる忍者たち。

(3)修験道系の秘術を習得した霊力系忍者。
この三つの形態が考えられる。

(1)の労働系忍者は、平和になると役目を喪失し、多くは農民に戻ったり、盗賊になったりした。

雑賀衆の頭目、雑賀孫一(鈴木孫一)もこのタイプの忍者で、鉄砲隊を率いる、現在の課長クラスとして雇われていた。頭目で課長レベルなので、それ以下の者たちの扱いはおのずと推測できる。

葛飾北斎が描いた忍者も、この種の忍者で、世間一般では、「忍者とはこのような存在」と思われていたはずである。

(2)の忍者は、忍びこんで仲間になって情報を得るタイプの忍者である。武士の世では「草」と呼ばれ、現在の日本では潜入捜査官と呼ばれたりする。絶対になくなることのない忍者(諜報員)ともいえる。

最も力を持っていたのが(3)の霊力系忍者である。
その代表的な人物の一人が大和の国を乗っ取った松永弾正久秀である。

『芳年武者牙類:弾正忠松永久秀』月岡芳年・画

配下に従えていたのが柳生一族。

新陰流兵法目録事/宝山寺所蔵

注目すべきは天狗が描かれていることである。天狗は、鞍馬山で牛若丸に武芸と兵法を教えていたともされている。

月岡芳年が描く大天狗と牛若丸。

天狗とは修験道行者や山伏の異名である。

但し、修験道といっても、誰も詳しくは知らないだろう。
その奥義を記した書物などが存在しないからである。

宮大工でも、奥義は一子口伝(いっしくでん)である。
口頭で語られる奥義を完全に覚え切ることが求められる。

そのようなものだから、決して、外部に漏れることはない。

だから、霊力が神秘化されすぎて、次のような漫画の題材として盛んに取り扱われるようになった。

杉浦しげる作画。

この原点は江戸時代の歌舞伎である。

歌川国芳「本朝水滸伝・尾形周馬寛行」(自来也)。

修験道奥義の片鱗はこの書に記している。
 
アホも利口も感染する量子テレポーテーション。

意志(粒子)と思念(波動)が相手の脳と潜在意識に突き刺さる。

この技を使えるようになると、例え相手がニューヨークにいようが、ロンドンにいようが、その潜在意識を抜き出せる。

或いは、ビル・ゲイツ氏が魔法の力と讃えた、ジョブズ氏が用いていたスーパーコミュニケーション能力を駆使できる。

これは日本の修験道(忍者)の技なのだ。

霊力系戦国大名としては、北条早雲、斎藤道三、松永久秀、滝川一益などの名があげられる。

豊臣秀吉も霊力系であり、家臣の黒田官兵衛は(2)の忍者(御師)を活用していたことが知られている。但し、秀吉は、早雲たちとは少しタイプが異なる。

籠城戦を得意とした楠正成、真田幸村も忍者系武将である。
彼らも、どちらかといえば豊臣秀吉系に思われる。

果心居士(かしんこじ)と呼ばれる室町時代末期に登場した幻術師がいる。

司馬遼太郎も出世作となった『梟の城』で登場させている。

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、松永久秀らの前で幻術を披露したと記録されているが、実在を疑問視する向きもある。

松永久秀とは特に親交があり、久秀が「幾度も戦場の修羅場をかいくぐってきた自分に恐ろしい思いをさせることができるか」と挑んだところ、数年前に死んだ久秀の妻の幻影を出現させ、震え上がらせた。典拠・中山三柳『醍醐随筆』。

その他、いろいろ創作的小話が存在しているが、薬物や催眠術、そして量子テレポーテーション的なスーパーコミュニケーション能力を駆使できれば、そのような芸当も可能になる。

実在を疑問視されるのは、確かなことかと思われるが、この種の幻術というか妖術というか、ある種のホラー話は実在する。人の思念はたやすく操られる。

これとは異質になるが、自身が戦闘に及んだときは百戦百勝を誇った織田信長やユリウス・カエサルは、幻術、妖術ではなく、強烈な量子を放って臣下の者たちを操ったことは史実において立証される。

『らくらく動ける意識術脳内設定瞑想法』に、その片鱗を記している。封印事項になってしまうが、私もそのような現実を幾つも知っている。

ゆえに、「最強の霊力系忍者は誰か」と問われれば、私は西ではユリウス・カエサルとイエス・キリスト、東では織田信長と仏陀、空海をあげたい。

新約聖書では、十戒のモーセ、洗礼者ヨハネがイエス・キリストの同格と記されているので、それにならえば、十七条憲法の聖徳太子、玄奘三蔵もこの範疇に入る。霊力をつきつめると、そのような結論が導き出される。

 

戦国時代の謎:織田信長の「天下布武」の「天下」はどこからどこまでなのか

織田信長の野望。
信長の野望は中途で断たれた。

このような記事をよく目にするけど、そもそも、「天下布武」の「天下」の範囲を明記した記事がないのだから、「野望」という表現は不適切だし、「野望が頓挫した」に至っては、「その根拠は?」と問いたくなる。

天下布武の「天下」を定義づけられない人たちの見識はポエムでしかない。

では、天下の範囲を示した通説はどうなっているのか。

五畿内「京に近い山城国(京都府南半部)・摂津国(大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)・河内国(大阪府東部)・大和国(奈良)・和泉国(大阪府南西部)の令制五か国」とするのが、一般的な解釈である。

しかし、これは正しくない。

戦国時代を開いた北条早雲(後北条氏)の領地は相模(さがみ・神奈川県)だった。

徳川家康の領地の始まりは三河(愛知県東半部)で、そこから、駿河今川領(静岡県中部)を手に入れる。

やがて、豊臣秀吉の台頭によって後北条氏は滅び、家康は東の防波堤として駿河から相武国(さがむのくに・相模と武蔵。古事記表記)を含む関八州に移封される。ここが天下の東限となる。

一方、西限は『古事記」において「足柄山の坂本」と定められている

足柄山は、坂田金時(金太郎)と京都の武将・源頼光(みなもとよりみつ)の関係から二つの地にかけられている。

一つは後北条氏の風魔一族の拠点として有名な相模の足柄山(神奈川・静岡県境にある足柄峠を中心とする山地)。

もう一つは、古事記にも記されている霊山・伊吹山の山麓となる甲賀の領域と絡む近江国(おうみのくに・滋賀県)坂田郡。

坂田郡長浜には羽柴秀吉の城があった。

その対角線上に位置する琵琶湖湖南の坂本には明智光秀の居城があった。

この中間に位置する琵琶湖東岸の安土山に造られたのが織田信長の安土城である。

主君織田信長と右腕・羽柴秀吉、左腕・明智光秀の居城が近江国に集中していたのだから、ここが天下の西限とみなされる。

京の都と織田信長との位置関係から織田五大将の序列が透けてみえる。

第1位の家臣は、中国・九州制圧の軍団権を委ねられた羽柴秀吉。

第2位は、近江坂本城と丹波亀山城を与えられ、京都と信長の護衛役を兼ねていた明智光秀。

第3位は、伊賀上野の国主として関東管領を託された滝川一益。

第4位は、京から遠く離れた雪深い越前を託された最古参の家臣・柴田勝家。

第5位は、唯一軍団権を与えられなかった丹羽長秀。本能寺の変が勃発したときは、信長の三男である信孝の与力を任されていた。

近江国から西は、五芒星の総本山・京の都であり、天下の東限の向こうは四神相応(しじんそうおう)の江戸の都である。

つまり、信長の天下とは、西の都と東の都の間。しかも、六芒星・八咫烏の共和国・紀伊国はその範疇に属さない。

ここを忘却しては「天下」の画竜点睛を欠く。

このように明確な線引きをすれば、織田信長はまさしく天下を制圧し、その野望を完遂させていたと理解できる。

だから、紀伊国制圧の第一次紀州征伐の半ばで本能寺において倒れたのであり、その続きは右腕・豊臣秀吉によって果たされたといえる。

こうした図式を理解できると、「八咫烏とは何か」から、「どうして江戸の街は渦巻き状の、しかも右回りに建設されているのか」という謎も紐解ける。